ディクン派を支援した「上手のホル」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 09:09 UTC 版)
「ディクン派の乱」の記事における「ディクン派を支援した「上手のホル」」の解説
多くのチベット語史料では「ディクン派の乱」の際にディクン派は「上手のホル(中央アジア方面の遊牧勢力を指すチベットの歴史的用語)」の援軍を得たと記されており、古い学説では18世紀に編纂されたrang 'byung rdo rjeに従ってこれをフレグ・ウルス(イルハン朝)であるとする。しかし、建国の経緯から一貫して大元ウルスと友好関係を築いていたフレグ・ウルスがディクン派を支援したとは考えづらく、タレル・ワイリーを始め多くのチベット史家は「上手のホル」を中央アジアの反クビライ勢力(カイドゥ・ウルス)に充てる。 また、日本人チベット史研究者の乙坂智子は古い時代に編纂されたチベット語史書では(A)「フレグは上手のホルの王である」という記述と(C)大元ウルスは「上手のホル」を警戒していた、という記述しかなかったものが、時代が降ると(B)ディクン派は叛乱に当たって「上手のホル」の援軍を得たという記述が見られるようになり、18世紀に至って始めて「上手のホル=フレグがディクン派を支援した」という記述が見られるようになる、ということを指摘した。乙坂智子はこの指摘に基づいて、「上手のホル=フレグ・ウルスがディクン派を支援した」という記述は「ディクン派の乱」から時代が降ることで本来無関係の(A)と(C)の記述が結びつけられた結果生じたものであり、「上手のホル=フレグ・ウルス」がディクン派を支援したという説はやはり史実とは認められず、またそもそも「上手のホル」が本当にディクン派を支援したかどうかも疑問の余地があると論じている。
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