テュルクの独立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 20:39 UTC 版)
ロシア領内のテュルク人の間では、19世紀末からムスリムの民族的覚醒を促す運動が起こり、オスマン帝国を含めてテュルク人の幅広い連帯を目指す汎テュルク主義(汎トルコ主義)が生まれた。 しかし、ロシア革命が成功すると、旧ロシア帝国領内に住むテュルク系諸民族は個々の共和国や民族自治区に細分化されるに至った。一方、トルコ革命が旧オスマン帝国であるアナトリアに住むトルコ人だけのための国民国家であるトルコ共和国を誕生させた結果、汎テュルク主義は否定される形となった。 1991年のソビエト連邦崩壊後、旧ソ連から5つのテュルク系民族の共和国(アゼルバイジャン共和国、ウズベキスタン共和国、カザフスタン共和国、キルギス、トルクメニスタン)が独立。 これら諸共和国やタタール人などのロシア領内のテュルク系諸民族と、トルコ共和国のトルコ人たちとの間で、汎テュルク主義の再台頭ともみなしうる新たな協力関係が構築されつつある。
※この「テュルクの独立」の解説は、「チュルク系民族」の解説の一部です。
「テュルクの独立」を含む「チュルク系民族」の記事については、「チュルク系民族」の概要を参照ください。
- テュルクの独立のページへのリンク