テセウスのパラドックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 15:50 UTC 版)
「哲学上の未解決問題」の記事における「テセウスのパラドックス」の解説
詳細は「テセウスの船」を参照 このパラドックスは形而上学、オントロジー(存在とアイデンティティの哲学)から最初に現れてきた古典的なパラドックスである。そのパラドックスとは以下のようなものである。100の部品から作られたテセウスの偉大な船があった。それぞれの部品には、対応する交換部品がそれぞれ1つ、船の保管庫に保持されている。その後、船は航海に出発する。船は怪物がはびこる海を航行し、毎日、一つの部品が壊れてしまい、交換する必要がある。100日目、船は港に戻り、航海は完了した。この旅の過程を通して、船の部品すべてが交換された。では、帰ってきたこの船はテセウスの船だろうか、それとも違うのだろうか。 「はい」と答えるとしたら、次の点を考慮しなければならない。破損した元の部品が修理され、再び組み立てられる。こちらはテセウスの船か、それとも違うのか。もしそうでなければ、港に出航する船に「アルゴ」という名前を付けよう。テセウスの船の乗組員は(旅の間の)どの時点でアルゴの乗組員になったのか。そして、50日目に航行しているのは何の船なのか。両方の船の間で一つの部品を交換するとき、2隻の船はまだ同じ船と言えるだろうか。このパラドックスは、上記の砂山のパラドックスのちょっとしたバリエーションであり、それ自体が多くのバリエーションを持っている。どちらのパラドックスにも説得力のある議論と反論があるが、その完全な証明に近づいた者はまだ誰もいない。
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