ツァイス・イコンのブランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 00:22 UTC 版)
「コンタックス」の記事における「ツァイス・イコンのブランド」の解説
このブランド名は1932年3月コンタックスI発売に際してツァイス・イコン社内の公募で1位となり定められた。ちなみに当時自動車用アクセサリーの製造も行なっており、その回転計の名称がコンタックスだったという。ツァイス・イコンの母体となった4社から少なくとも1文字を採って組み合わせたという説もあるが、竹田正一郎は「コンテッサ・ネッテル社に分が良すぎる」として否定している。 戦後ドイツ分割に伴いツァイス・イコンも分割され、コンタックス銘で西側のツァイスはレンジファインダーカメラを引き続き製造し、東側のツァイス・イコンはM42マウントの一眼レフカメラを製造した。 東西ツァイス間のブランド使用権を巡る訴訟を経て従来の商標につき東のツァイスは東側のみ、西のツァイスは西側のみでしか使用しないことで妥結した結果、東側のツァイス・イコンが製造したコンタックスは西側世界で販売される分につきペンタコンブランドに変更され、さらには全てプラクチカに変更された。西側のツァイス・イコンが製造したコンタックスは最終型であるコンタックスIIIaが1961年に製造中止になった後、ツァイス・イコンのフラッグシップは1960年に発売された一眼レフカメラのコンタレックスシリーズに引き継がれ、コンタックスは一時休眠ブランドとなった。
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