ダイヤモンドレース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/30 21:37 UTC 版)
中村は地元飯塚に人一倍の愛着を抱いていた。悲願のSG制覇を成し遂げた後も「地元記念グランドスラム」に執念を燃やしていた。GI開設記念レースは既に1995、1997年と二度制覇しており、GII春のスピード王決定戦、GII秋のスピード王決定戦も制覇していた。そして、伝統のレースである「ダイヤモンドレース」だけが残った。この「ダイヤモンドレース」は中村にとっては何としても優勝したい競走となった。 1998年のGI第41回ダイヤモンドレースは、当時としては破格の他場強豪陣が多数参戦していた。中村は執念で真夏の熱走路を乗り切り、優出を果たした。そして、片平巧、高橋貢(22期、伊勢崎)、岩田行雄とSG優勝戦並みの顔触れとなった優勝戦は、好スタートを切った中村が外枠強豪勢を寄せ付けず、まさに「西の横綱」の名に相応しい万全のレース運びで8周回のゴールを切った。悲願のダイヤモンド制覇に思わず中村は「SG優勝よりうれしいかも知れない」とインタビューで語った。
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