タワンティンスーユの支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:45 UTC 版)
「エクアドルの歴史」の記事における「タワンティンスーユの支配」の解説
このようにして現在のエクアドルに成立した諸文化は、最終的に15世紀後半にタワンティンスーユ(インカ帝国)の皇帝 トゥパク・インカ・ユパンキによって征服された。後にインカ帝国は、北はエクアドルとコロンビアとの国境、南はチリ北部にいたる南北4000kmを支配するまでの大帝国になった。 インカ皇帝ワイナ・カパックには二人の息子がおり、キト北方出身のオタバロ族の母親を持つアタワルパにキトを支配させ、もう一人の息子ワスカルに首都クスコを支配させることを提案した。しかし、16世紀初め頃からパナマ地峡を通じてヨーロッパからもたらされた疫病により、ワイナ・カパックが亡くなると帝位継承を巡って内乱が起こった。
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