ソ連ブロックの憂慮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 15:30 UTC 版)
1月のチェコスロバキアにおける権力者の交代に対し、真っ先に憂慮を示したのが、ポーランドと東ドイツであった。1月中旬、両国を訪問したブレジネフに対し、ヴラジスラウ・ゴムウカとヴァルター・ウルブリヒトはともに、「反社会主義」的影響がチェコスロバキアを越えて、ソ連ブロック全体に波及すること、そしてそれが国内の社会主義体制の基盤を侵食する可能性があると懸念を伝えた。とくにポーランドでは、3月に学生デモが発生し、「ポーランドにもドゥプチェクを!」と書かれたプラカードが掲げられる状況は、ゴムウカの懸念をいっそう強めた。また2月22日に開催された1948年革命記念式典は、ブレジネフら各国首脳が出席し、チェコスロバキアにおける改革の気運を肌で感じる機会となり、共産党に対する率直な批判記事を掲載するマスメディアの動向が注意を引きつけ、改革運動に対する懸念を高めた。
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