スティーヴ・バウアーとは? わかりやすく解説

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スティーヴ・バウアー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/01 05:47 UTC 版)

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スティーヴ・バウアー
Steve Bauer
個人情報
本名 Stephen Todd Bauer
ステファン・トッド・バウアー
生年月日 (1959-06-12) 1959年6月12日(59歳)
国籍 カナダ
身長 170cm
体重 72kg
チーム情報
所属 チーム・スパイダーテック・パワード・バイ・C10
分野 ロードレース
役割 チーム監督
プロ所属チーム
1984
1985-1987
1988-1989
1990
1991-1996
メンゴーニ
ラ・ヴィ・クレール
ヴァインマン
セヴンイレヴン
モトローラ
グランツール最高成績
主要レース勝利
ドーフィネ・リベレ 1989
チューリッヒ選手権 1989
ツール・ド・フランス 新人賞 1985
 
獲得メダル
カナダ
自転車競技
オリンピック
1984 ロサンゼルス 個人ロード
世界選手権自転車競技大会
1984 バルセロナ プロロード
最終更新日
2011年1月18日

スティーヴ・バウアー(Steve Bauer、1959年6月12日 - )は、カナダセントキャサリンズ出身の元自転車競技ロードレース)選手。

来歴

1984年ロサンゼルスオリンピック・個人ロードレースにおいて、金メダルのアレクシー・グレウォールと同タイムゴールの2位。

ロサンゼルス五輪終了後にプロ転向。1985年、ラ・ヴィ・クレールに加入した。同年のツール・ド・フランスで総合10位に入り新人賞を獲得。1987年ジロ・デ・イタリアでは総合10位に入った。ヴァインマンに移籍した1988年ツール・ド・フランスで5日間マイヨ・ジョーヌを堅持、総合4位。1989年ドーフィネ・リベレチューリッヒ選手権を制覇。また、1990年ツール・ド・フランスでは、9日間マイヨ・ジョーヌを堅持した。

1996年、12年ぶりに五輪出場となった、アトランタオリンピック・個人ロードレース出場を最後に現役引退。引退後は、ツーリングを目的としたスティーヴ・バウアー・バイク・ツアー[1] を設立。

2008年、チーム・R.A.C.E.プロのレース監督に就任。その後、チーム・スパイダーテックのオーナー兼監督となり現在に至る。

主な戦績

1981年

1982年

  • カナダ選手権 個人ロードレース 優勝

1983年

  • カナダ選手権 個人ロードレース 優勝

1984年

1985年、ラ・ヴィクレールに移籍

1986年

  • チューリッヒ選手権 2位

1987年

1988年、ヴァインマンに移籍

1989年

1990年、セブンイレヴンに移籍

脚注

  1. ^ 公式サイト(英語)

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