スタジアム・ロック時代(1979年 - 1995年)
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フィル・コリンズは1980年代初頭からソロ活動もおこない、「夜の囁き」「恋はあせらず」などをヒットさせた。「恋はあせらず」はモータウン・ヒットのカバーである。バンドとしては1984年に「ザッツ・オール」がヒット。1986年の『インヴィジブル・タッチ』は世界的な大ヒットとなり、アルバムのタイトル曲「インヴィジブル・タッチ」は1986年7月19日付のビルボード・シングルチャートで全米No.1となった。なお、バンドにとってこれは最初で最後の全米No.1となった。その翌週、ジェネシスを1位の座から下ろして全米No.1に輝いたのは、皮肉にもジェネシスを脱退したピーター・ガブリエルの「スレッジハンマー」だった。また、『インヴィジブル・タッチ』からシングル・カットされた「混迷の地」のミュージック・ビデオは、グラミー賞で最優秀コンセプト・ミュージック・ビデオ賞を受賞。 1980年代中盤からは、各メンバーのソロ活動が活発になる。特に、フィル・コリンズはソロ・アーティストとしてジェネシス以上の成功を収める。バンドとソロ活動に加え、映画出演やプロデュース業もこなし、「世界で最も忙しい男」と呼ばれた。フィル・コリンズは、またしてもモータウン・サウンドの「トゥー・ハーツ」をヒットさせ好評を得た。 1991年、久々の新作となる『ウィ・キャント・ダンス』を発表、相変わらず世界的なヒットを記録する。その後、いくつかのライブ・アルバムなどを発表している。
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