ジョビー・ダイカとは? わかりやすく解説

ジョビー・ダイカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 07:39 UTC 版)

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獲得メダル
オーストラリア
トラックレース
世界選手権自転車競技大会
2002 コペンハーゲン ケイリン
2001 アントウェルペン TSP
2002 コペンハーゲン TSP
2002 コペンハーゲン スプリント
2003 シュトゥットガルト スプリント
2003 シュトゥットガルト ケイリン
2005 ロサンゼルス スプリント

ジョビー・ダイカ(Jobie Dajka、1981年12月11日 - 2009年4月7日)は、オーストラリアニューサウスウェールズ州のブーク出身の元自転車競技トラックレース)選手。

経歴

1999年ジュニア世界選手権自転車競技大会のスプリント、チームスプリントを制覇。2002年、コペンハーゲンで行なわれた世界選手権自転車競技大会ケイリンで優勝。この他、同年の世界選手権ではチームスプリント、スプリントでいずれも2位に入った。さらに同年のコモンウェルスゲームズのチームスプリントでも優勝。また2003年の世界選手権でも、スプリント、ケイリンでいずれも2位となり、2004年開催のアテネオリンピックの代表候補選手にも名前が挙がった。

しかし2004年8月、オーストラリアチームがドイツで行なったオリンピックの直前合宿中に、マーク・フレンチが自室で行なわれていたとされるドーピング疑惑[1]について虚偽の証言を行なったとして、即刻代表から外され、6ヶ月間の出場停止処分を受けた。

一方、2005年3月開催の世界選手権・スプリントで3位に入るなど、再び世界トップクラスの選手としての活躍する矢先の同年6月、情緒不安定な状態に加え、アルコール依存症にも陥っていたことから、コーチの命により、入院を余儀なくされ、オーストラリア車連からの選手登録も一時的に抹消された。2006年に再登録されたものの、その後、ダイカが第一線の舞台に立つことはなかった。2009年4月7日、アデレード市内の自宅で死亡が確認された[2]

国際競輪

2002年から2004年までの3年間に亘り国際競輪に出場。通算48戦13勝。優勝5回の成績を収めた。

脚注

  1. ^ 成長ホルモン副腎皮質ホルモンの投与疑惑。これにより、フレンチに2年間の出場停止処分が下された。
  2. ^ アーカイブされたコピー”. 2009年4月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年11月14日閲覧。

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