ジュリアン・ラクリンとは? わかりやすく解説

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ジュリアン・ラクリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/28 07:14 UTC 版)

ジュリアン・ラクリン
2011年12月
基本情報
生誕 (1974-12-08) 1974年12月8日(50歳)
出身地  リトアニア ヴィリニュス
学歴 ウィーン国立音楽大学
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリンヴィオラ奏者
指揮者

ジュリアン・ラクリン[1](Julian Rachlin、1974年12月8日 - )は、リトアニアヴィリニュス出身のヴァイオリン奏者、ヴィオラ奏者および指揮者ユダヤ系である。

経歴

1978年に両親に連れられオーストリアに移住。1983年ウィーン音楽院に入学するが、ロシアゆかりのヴァイオリン教育をボリス・クシュニールから受けるかたわら、ピンカス・ズーカーマンからも個人指導を受ける。

早くも1984年神童として最初の公開演奏を開始。1988年には、「ユーロビジョン・ヤング・ミュージシャンズ」グランプリの称号を得て、ロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とそれぞれ共演した最年少ソリストとなった。欧米で活動を繰り広げていく中で、ウラジミール・アシュケナージベルナルト・ハイティンクジェームズ・レヴァインズービン・メータアンドレ・プレヴィン等の指揮者とも共演した。2005年にはマゼール指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団により、カーネギー・ホールでのデビューも果たした。

協奏曲のソリストとして活躍するだけでなく、マルタ・アルゲリッチナターリア・グートマンギドン・クレーメルムスティスラフ・ロストロポーヴィチらの巨匠と共演して室内楽を演奏しており、2000年にはユーリ・バシュメトと組んでクシシュトフ・ペンデレツキの《六重奏曲》を初演した。同年ドゥブロヴニクにおいて音楽祭「ジュリアン・ラクリンと仲間達」を立ち上げた。2000年からはヴィオラ奏者としても室内楽や協奏曲を演奏している。

ラクリンの録音のうち、ブラームスサン=サーンスチャイコフスキーシベリウスヴァイオリン協奏曲や、ショスタコーヴィチのヴィオラ・ソナタは、評論家から絶賛された。2000年には、シエーナキジアーナ音楽院から国際賞を授与された。

ジュゼッペ・グァルネリ1741年に造った「エクス・カロダス」をオーストリア国立銀行より貸与されて演奏に用いている。肩当ては、BONMUSICA社のBONMUSICAを使用している。

日本との関係では、2011年4月、福島第一原子力発電所の事故による放射能への不安を理由に、宮崎県で開催の第16回宮崎国際音楽祭を急遽辞退した。代わりに師のズーカーマンが「日本を元気づけたい」と出演を承諾した[2]

2023年からエルサレム交響楽団の音楽監督を務める。

脚注

  1. ^ 「ジュリアン」は英語読みである。
  2. ^ http://www.asahi.com/national/update/0422/SEB201104210054.html




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