ジャンヌ・ロジェ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 04:11 UTC 版)
「エティエンヌ・ロジェ」の記事における「ジャンヌ・ロジェ」の解説
ジャンヌ・ロジェ(Jeanne Rojer 1701-1722)はエティエンヌの次女で、長女フランソワーズ( Françoise 1694-1723)が父と同じ亡命ユグノー出身の出版業者、ミシェル=シャルル・ル・セーヌと結婚した1716年から、エティエンヌの後継として出版事業の責任者となっていた。ル・セーヌの父シャルル・ル・セーヌは高名なプロテスタントの牧師・神学者であり、この結婚はユグノーのネットワークを発展させるために有益なものと考えられるが、エティエンヌが後継者にジャンヌを選んだのはエティエンヌとル・セールの間に、なにがしかの確執があったものと推測される。エティエンヌが死去するまでは会社の責任者はエティエンヌのままであったが、エティエンヌが1722年に死去すると、ジャンヌも程無くして死去した。ジャンヌはおそらく父親の意向を汲んで、遺産管理を母方の叔父に依頼し、出版事業を姉夫婦ではなく従業員のジェリット・ドリンクマン(Gerrit Drinkman)に譲り渡した。しかしドリンクマンも間もなく死去し、ル・セーヌが遺産相続権を勝ち取ると、ドリンクマンの未亡人はロジェ社の事業の相続権をル・セーヌに売却した。1723年にはフランソワーズもこの世を去り、ロジェ社の事業はすべてル・セーヌのものとなった。
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