ジェネラル・シャーマン号事件と辛未洋擾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
「興宣大院君」の記事における「ジェネラル・シャーマン号事件と辛未洋擾」の解説
事変の詳細及び首謀者をめぐる諸説については「ジェネラル・シャーマン号事件」を参照 丙寅洋擾の2ヶ月前、アメリカの武装商船ジェネラル・シャーマン号が平壌大同江に到着し、開港を求めたが、平壌監司の朴珪寿は中軍の李鉉益に食糧や薪と水を支給し退去させよと命を下した。ところが李玄益が乗る小舟が転覆させられ、李玄益はシャーマン号に監禁された。その上シャーマン号は民衆を砲撃して民衆との攻防戦になるが、大同江の水位が下がり始めて身動きのままならなくなったシャーマン号に朝鮮側は反撃を加えて座礁に追い込み、乗員もろとも船を焼き払った。大院君は、朝鮮の兵士がアメリカ軍を撃退したと宣言した。 事変の詳細及び首謀者をめぐる諸説については「辛未洋擾」を参照 アメリカはジェネラル・シャーマン号が朝鮮で消失したことを知って確認をとろうとするが、朝鮮側は丙寅洋擾の戦果に自信を持っていたのでアメリカ側に強硬姿勢を貫き要求を突っぱねた。清国駐在のアメリカ公使のローは事件への賠償と開港を求めて、艦隊5隻と兵士1200人により江華島を攻めて占領したが、大院君は要求に応えず持久戦に持ち込み、アメリカ軍を撤退させた。
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