シュテッティンの和約
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シュテッティンの和約 | |
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署名 | 1570年12月13日 |
署名場所 | シュテッティン |
締約国 | スウェーデンとデンマーク及びリューベック |
主な内容 | 北方七年戦争の平和条約 |
シュテッティンの和約(シュテッティンのわやく。Freden i Stettin)は、1570年12月13日に締結された北方七年戦争の平和条約。
神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世が調停を行い、ポメラニア公国の首都シュテッティン(現ポーランド、シュチェチン)で、スウェーデンとデンマーク及びリューベックとの間で結ばれた。
主な内容
デンマークがスウェーデンへの請求を放棄したことで、スウェーデンとのカルマル同盟は最終的に撤廃された。また、両国の関係はこの戦争によって悪化することとなった。リューベックは、スウェーデンから賠償金を支払われることはなかった。
関連項目
- シュテッティン条約(曖昧さ回避)
固有名詞の分類
講和条約 |
シェーンブルンの和約 カンポ・フォルミオ条約 シュテッティンの和約 ドレスデン条約 カリアスの和約 |
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