シャルヴェンカ
ドイツで活動したポーランド系の作曲家。ピアニストや教育者としても音楽に携わった。ベルリンの新音楽アカデミーとジングアカデミーを経て、後者で音楽の指導にあたった。兵役を務め終えたのを機に、ヨーロッパ各地やアメリカ、カナダを回って演奏した。1877年、結婚した年には前年に作曲した自作のピアノ協奏曲を初演し、人気を博した。1881年にはベルリンに音楽院を創立し、その10年後にはニューヨークに分校を開校している。ベルリンの音楽院は後年、カール・クリントヴォルトの音楽院と合併したが、折り合いがうまくいかず、クリントヴォルトが身を退く形となった。20世紀に入ってからは、ドイツの音楽教師連盟、演奏家連盟の創設に携わり、晩年にはベルリンに音楽学校をもう1校開校している。
ピアニストとしてのシャルヴェンカは「ショパン弾き」として知られている。また、『ピアノ演奏の方法(Methodik des Klavierspiels)』(Leipzig, 1907)も著している。
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