サンカルロス・ボッロメーオ
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「セントチャールズ (ミズーリ州)」の記事における「サンカルロス・ボッロメーオ」の解説
町の最初の教会は、1791年に建設されたカトリック教会で、サンカルロス・ボッロメーオを祭っていた。町の名はサンカルロス・デル・ミズーリ、英語で「セントチャールズ・オブ・ザ・ミズーリ」として知られるようになった。教会が元あった場所は分かっていないが、レプリカがメインストリートからすぐの場所に復元されている。3代目のセントチャールズ・ボロメオ教会は、現在5番ストリートに位置している。 スペイン人の副総督は、ダニエル・ブーンをフェム・オーセージ地域の司令官に任命した。彼はルイジアナ買収によってアメリカの支配下に置かれた1804年まで、その任を果たした。町の名前サンカルロスは、英語化されセントチャールズとなった。ウィリアム・クラークは1804年5月16日にセントチャールズに到着した。 彼を含めた40人の隊員と3隻のボートから成る探検隊は、最後の準備をし、メリウェザー・ルイスのセントルイスからの到着を待った。彼らはその間、踊りや晩餐、教会の礼拝に参加した。町の住民は、国を挙げた探検隊の一部となることに心躍り、探検隊を厚くもてなした。ルイスはセントチャールズ・ロック・ロードを通って5月20日に到着した。探検隊は翌日の午後3時30分にキールボートで出発した。セントチャールズは探検隊が訪れた最後のアメリカの町であり、次に戻ってくるのは2年以上後のことだった。
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