サッカー選手労働組合設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 01:16 UTC 版)
「清岡哲朗」の記事における「サッカー選手労働組合設立」の解説
2010年12月サッカー日本代表全選手の代理人にとして、日本サッカー協会と代表選手の試合出場報酬、肖像権料の分配、日本代表関連収益を財源としたプロサッカー選手退職金制度設立交渉をおこなっていたが交渉が暗礁に乗り上げ、サッカー日本代表親善試合のボイコットを示唆した。特に日本サッカー協会は日本代表戦の勝敗に関係なく、スポンサー料・放映権料・チケット収入等があるにも関わらず、日本代表選手は試合に敗れた場合、試合報酬は0円であり、日当2万円のみの支給であった。また日本代表チームのキャプテンを務めていた中澤佑二なども、待遇が改善されなければボイコットも辞さない考えを示した。実際にはボイコットは実施されなかったが、この出来事により日本サッカー協会と合法的な交渉をおこなうため日本プロサッカー選手会は労働組合化に向けた動きが加速し、2011年には労働組合日本プロサッカー選手会を設立した。
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