ササク人の反乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 14:46 UTC 版)
1891年、ロンボク島東部のムスリムササク人が、アナック・アグン・グデ・ングラ・カランガスム(Anak Agung Gde Ngurah Karangasem)を中心としたロンボク島のバリ系支配層に対して反乱をおこした。 1855年から1871年にかけてマタラム族はバリ島の支配権を得ようとしてクルンクン王国攻撃を準備し、その際にササク人から兵を徴用しようとしたが、これに反発したササク人が反乱をおこしていた(マタラム族はこれを鎮圧)。 1891年8月25日、マタラム王の息子アナック・アグン・ケトゥッ・カランガスムは8000の兵力を反乱勢力セレパラン王国のあるプラヤへ派遣した。9月8日にはさらに3000の兵力を増援した。王国軍が不首尾に終わったため、王は属国のカランガスム王国に1200の精鋭兵の提供を願い出た。戦乱は1894年まで続き、近代戦艦2艦を装備したマタラム軍は反乱勢力地域を制圧し、ササク人の残党を包囲した。
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