ゴールデンバウム王朝の終焉と、ローエングラム王朝の開闢
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「銀河英雄伝説の戦役」の記事における「ゴールデンバウム王朝の終焉と、ローエングラム王朝の開闢」の解説
宇宙暦799年/帝国暦490年6月20日。 エルウィン・ヨーゼフ二世が「救出」されたあとの帝位は、生後わずか八ヶ月の女児カザリン・ケートヘンが(形の上で)継いでいた。そのカザリン・ケートヘンの父親であり親権代行者でもあるペクニッツ公ユルゲン・オファーは、オーベルシュタインに呼び出され、「女帝」カザリン・ケートヘンの退位宣言書と「帝位をラインハルトに禅譲する」宣言書を突きつけられた。立ち尽くして冷汗と脂汗を流すユルゲン・オファーに対し、オーベルシュタインはペクニッツ家の安泰およびカザリン・ケートヘンへの生涯年金支給の保証書をも提示した。それで冷汗と脂汗は安堵の汗に変わってユルゲン・オファーは二通の宣言書に署名し、かくしてゴールデンバウム王朝は人知れず滅亡した。 宇宙暦799年/新帝国暦1年6月22日。 ラインハルトは新無憂宮において大々的に即位式及び戴冠式を行い、自ら帝冠を戴いた。ローエングラム王朝が、ここにはじまった。だがその場には、ラインハルトが最も求める二人の姿はなかった。
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