コロンヌとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 外国人名の読み方 > コロンヌの意味・解説 

コロンヌ

名前 Colonne

エドゥアール・コロンヌ

(コロンヌ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 03:44 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
エドゥアール・コロンヌ

エドゥアール・コロンヌÉdouard Judas Colonne, 1838年7月23日ボルドー) - 1910年3月28日パリ))は、フランスヴァイオリン奏者指揮者コンセール・コロンヌ管弦楽団を主宰した。

経歴

父と祖父も音楽家であった。1855年パリコンセルヴァトワールに進んでジュール・マスネらに学び、1858年和声学の、1863年ヴァイオリンの、共に一等賞を得た。

かたわら、リリック劇場(後のサラ・ベルナール座、現在の市立劇場(Théâtre de la Ville))のヴァイオリン奏者として学資を稼いだ。1858年から1867年までオペラ座管弦楽団のコンサートマスターを務め、同時にシャルル・ラムルー率いるラムルー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンを弾いた。次いでジュール・パドルーコンセール・ポピュレール(Concerts populaires de musique classique)に転じ、そこで初めて指揮棒を振った。その後、1871年までニューヨークで仕事をした。

1873年、音楽出版社主ジョルジュ・アルトマン(Geroges Hartmann)の出資でコンセール・ナシオナル(Concert National)を組織した。オデオン座で開いた初回のコンサートはフランクオラトリオ『贖罪』の世界初演であり、その時の合唱指揮はヴァンサン・ダンディであった。その年度の8回の演奏会では、ジュール・マスネのオラトリオ『マリー=マドレーヌ』、サン=サーンスの『チェロ協奏曲第1番』の初演や、ベルリオーズの『ファウストの劫罰』の23年ぶりの再演などを行った。それらは好評であったが赤字で、アルトマンが手を引いたため、1874年シャトレ座にコンセール・シャトレ芸術協会(Association Artistique des Concerts du Chatelet)を興して演奏活動を続けた。

コロンヌの協会は、はじめジュール・パドルーコンセール・ポピュレールと、次いでシャルル・ラムルーコンセール・ラムルーと競った。

在任中、300人以上の作曲家の作品を演奏し、特にフランス近代音楽の紹介に尽力した。『ファウストの劫罰』の上演は172回に達した。また、ポルトガルスペインイギリスドイツロシアへ、オーケストラ帯同の巡演をした。

1892年に協会をコンセール・コロンヌ芸術協会(Association Artistique des Concerts Colonne)と改称した。

1892年から1893年まで、かつて務めたオペラ座管弦楽団の芸術監督も兼ね、ワーグナーの『ローエングリン』、『ワルキューレ』などを指揮した。

コロンヌはまた、管弦楽の草創期のレコード録音に積極的に協力した。

1910年に没し、ガブリエル・ピエルネがその職を継いだ。

出典

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「コロンヌ」の関連用語

コロンヌのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



コロンヌのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエドゥアール・コロンヌ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS