ケベック防衛の準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 18:42 UTC 版)
「カナダ侵攻作戦」の記事における「ケベック防衛の準備」の解説
カールトン将軍はセントジョンズ砦の襲撃があった後に、南から侵略される危険性を痛切に感じ取り、ボストンにいるトマス・ゲイジ将軍からの援軍を要請した。カールトンはモントリオールとケベック市の防衛のために地元の民兵隊立ち上げに取り掛かったがほとんど成功しなかった。カールトンはフランス系住民が自発的に植民地の防衛にあたることを期待していたが、当の住民の大多数は英米どちらの側にもつかず、中立であることを望んでいたためである。イギリス側はタイコンデロガ砦が奪取されセントジョンズ砦が襲われたことに反応して、モントリオールの南、リシュリュー川沿いにあるセントジョンズ砦を守る為に700名の部隊を派遣し、シャンプレーン湖で使う為の船舶建造を命令し、またその防衛を援けさせるためにモホーク族インディアン約100名も兵士として採用した。主な防御はセントジョンズ砦に頼っていたので、カールトン自身は僅か150名の正規兵を連れただけでモントリオールの防衛を監督した。ケベック市の防衛は副総督のヘクター・クラマヘの指揮に委ねた。
※この「ケベック防衛の準備」の解説は、「カナダ侵攻作戦」の解説の一部です。
「ケベック防衛の準備」を含む「カナダ侵攻作戦」の記事については、「カナダ侵攻作戦」の概要を参照ください。
- ケベック防衛の準備のページへのリンク