ケベック攻略とその後
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「シャルル・デシャン・ド・ボワシェベール」の記事における「ケベック攻略とその後」の解説
ボワシェベールは、アカディアの志願兵による軍団とともに1759年夏、ケベック防衛戦とエイブラハム平原の戦いに参戦した。その年の冬、彼はこれが最後となるアカディアへの帰還をし、カナダへの援軍を集め、意気消沈したアカディア兵の士気を立て直した。1763年、ボワシェベールはアカディア人をカイエンヌ(フランス領ギアナ)に定住させる計画に加わり、軍人として赴任しようとしたがかなわなかった。1774年には植民地軍の検査官として任官しようとしたが、却下された。デシャン家がヌーベルフランスに祖父ジャン=バティスト=フランソワ・デシャン・ド・ラ・ブテユリーの代から領有していた領地ラ・ブテユリー(別名リヴィエール・ウエル)はその年に売却された。その後はフランスで結婚によって得た領地ラフトに住み、1797年1月9日にそこで死んだ。
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