ケダ・ダルル・アマンFC
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 08:46 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ケダ・ダルル・アマンFC | |||
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原語表記 | Kedah Darul Aman Football Club | ||
愛称 | Lang Merah | ||
クラブカラー | 黄・緑 | ||
創設年 | 1924年 | ||
所属リーグ | マレーシア・スーパーリーグ | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | ケダ州 | ||
ホームスタジアム | ダルル・アマン・スタジアム | ||
収容人数 | 32,387 | ||
代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ケダ・ダルル・アマンFC(英: Kedah Darul Aman Football Club、マレー語: Kelab Bola Sepak Kedah Darul Aman、略称KDA FC)は、マレーシア・ケダ州アロースターを本拠とするサッカークラブである。マレーシア・スーパーリーグに所属する。2020年まではケダFA (英: Football Association of Kedah Football Association, マレー語: Persatuan Bola Sepak Kedah) と称していたが、これはケダ州サッカー協会と同名である。
概要
1921年にマラヤカップ(現在のマレーシアカップ)が創設されたことを機にクラブが設立された。
1993年にはマレーシアサッカーリーグとマレーシアカップの二冠を、2007年と2008年にはさらにマレーシアFAカップを加えたトレブルを達成している。二回の三冠はマレーシアのクラブ初の偉業である。
2020年シーズンはスーパーリーグ2位となり、AFCカップ2021の出場権を獲得。
2020年10月22日、翌2021年シーズンからクラブ名をケダFAからケダ・ダルル・アマンFCに改名する旨を発表。クラブ運営会社のDarulaman FC Sdn Bhdの株式の80%がケダ州政府の投資会社Menteri Besar Kedah Incorporated (MBI) に譲渡され、ケダ州サッカー協会は残りの20%を引き続き保有することとなる[1]。
獲得タイトル
国内タイトル
- マレーシアサッカーリーグ:3回
- 1993, 2007, 2008
- マレーシアカップ:5回
- 1990, 1993, 2007, 2008, 2016
- マレーシアFAカップ:5回
- 1996, 2007, 2008, 2017, 2019
- マレーシア・チャリティーシールド:3回
- 1991, 1994, 2017
歴代監督
Ahmad Shafie 1985-1989, 1991, 2000
Milouš Kvaček 1989-1990
Robert Rene Alberts 1992-1995
Mosthakeen Omar 1996-1997
Fisol Abdul Razak 1998
Azman Eusoff 1999
Jørgen Erik Larsen 2001-2003
ミランジーニャ 2004
Mohd Azraai Khor Abdullah 2004-2009
Haji Ahmad Yusof 2009-2011
Wan Jamak Wan Hassan 2012-
所属選手
脚注
- ^ Oleh Sulaiman (2020年10月22日). “KFA Tawar RM5000 Untuk Cipta Logo Baharu Pasukan Kedah Darul Aman FC” (マレーシア語). Vocket FC. 2021年7月7日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- ケダ・ダルル・アマンFC - Facebook
- ケダ・ダルル・アマンFC (@kda_fc) - Twitter
- ケダ・ダルル・アマンFC (kedahdarulamanfc) - Instagram
ケダFA
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/25 13:21 UTC 版)
「アハマド・ファウジ・サーリ」の記事における「ケダFA」の解説
2002年にケダFAのユースに加入、スカン・マレーシアに出場した。2004年にトップチームに昇格、彼の不屈のスタミナがフロントからの信頼を得ての事であった。その後2006-07シーズンには重要な場面で得点を決め、またそれ以外の部分でもクラブに貢献し、クラブの上位進出に貢献した。ヴィクトル・アンドラグやコーネリアス・バーナード・ハギンズがクラブから離れると主将を任されるようになった。
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