グループステージ3で起きた騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 03:02 UTC 版)
「Super Six World Boxing Classic」の記事における「グループステージ3で起きた騒動」の解説
当初、2010年9月25日にアンドレ・ウォードVSアンドレ・ディレルが行われることが予定されていたが、約1ヶ月前となる2010年8月12日の時点でも、試合開催地が決まっておらずチケットも販売されていなかった。このため試合は開催日時未定で延期されたが、2010年10月7日にディレルが理由を公表しないままトーナメントから離脱することになり、対戦相手のいなくなったウォードは2010年11月27日にサキオ・ビカとWBA世界スーパーミドル級の防衛戦を行った。もしウォードがビカに敗れた場合にはタイトルがビカの手に渡るため、トーナメントでタイトルをかける事が出来なくなる可能性があった。 2010年8月25日にミッケル・ケスラーが眼疾を理由にトーナメントから離脱することを発表する。2010年9月6日にWBCはミッケル・ケスラーからWBC世界スーパーミドル級王座を剥奪して名誉王者とすること及びケスラーが眼疾から復帰した際にはタイトルへの挑戦権を与えることを発表。またWBCはケスラーから剥奪したWBC世界スーパーミドル級王座を対戦予定だったアンドレ・ウォードVSアンドレ・ディレルの勝者に与えることを発表した。しかしアブラハムのプロモーターの要求により、WBCは2010年10月6日にフロッチVSアブラハムの勝者にWBC世界スーパーミドル級王座を与えることに予定を変更した。 2010年9月13日にカール・フロッチが背中の負傷のため10月2日に対戦予定だったアブラハム戦を延期することを発表した。 2010年9月29日に離脱したケスラーの替わりにグレンコフ・ジョンソンが出場することが発表される。 結局、グループステージで各選手が3試合を行うという当初のルールを守れたのはフロッチとアブラハムの2選手だけで、グレンコフ・ジョンソンに到っては1試合をしただけで決勝トーナメントに出られる事態になってしまった。以上のようなゴタゴタぶりから皮肉交じりにスーパー・シックスでは無くスーパー・エイトではないかとも言われている。
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