クロニクルテレグラフ・カップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 03:49 UTC 版)
「1900年のメジャーリーグベースボール」の記事における「クロニクルテレグラフ・カップ」の解説
この年のシーズン終了後、テンプル・カップ(1894~1897年)と同様の試みとして、ペンシルベニア州ピッツバーグの地元紙『ピッツバーグ・クロニクルテレグラフ』が提唱してクロニクルテレグラフ・カップ(Chronicle-Telegraph Cup)が開催された。ナショナルリーグで優勝したブルックリン・スーパーバスと2位に終わったピッツバーグ・パイレーツとの差は4.5ゲームであったが、投手実績(防御率や完投数など)ではパイレーツの方が上回ったので、ピッツバーグの地元紙『ピッツバーグ・クロニクルテレグラフ』が以前のテンプル・カップのように5回戦のポストシーズン・ゲームを企画し、銀製のカップ(現在クーパースタウンに展示)を提供したので、このシリーズはクロニクルテレグラフ・カップ(Chronicle-Telegraph Cup)と呼ばれ、結果はブルックリン・スーパーバスの3勝1敗に終わった。このシリーズはこの年の1回限りで終わったが、テンプル・カップに続くポストシーズン・ゲームの開催で、やがて二大リーグ並立の時代に入ってから、両リーグのチャンピオンチームによるワールドシリーズへの創設に大きな影響を及ぼすこととなった。
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