キングスクレア時代・前半(1867年 - 1875年)
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「ジョン・ポーター」の記事における「キングスクレア時代・前半(1867年 - 1875年)」の解説
この成功によってホーリー卿は競馬事業のさらなる拡大を決め、1867年の冬にバークシャー州ニューベリー近くのキングスクレア(Kingsclere)に新たな調教施設を建設した。ただし当時のキングスクレア厩舎は小さく、馬房は14、調教師の住まいとして用意された小屋もきわめて小さく質素なものだった。馬房もじめじめしていて冬の間はひどく冷え、次シーズンの3歳クラシックの期待馬たちは体調を崩してしまったという。 キングスクレアに移ってから最初のシーズンとなる1868年には、ポーター調教師はダービーに有力馬を3頭出走させた。ミドルパークステークス優勝馬のグリーンスリーヴ(Green Sleeve)、同2着のロジクルシアン(Rosicrucian)、クリアウェルステークス優勝馬のブルーガウンである。このうちブルーガウンが優勝し、ポーター調教師に最初のダービー優勝の栄冠をもたらした。ブルーガウンは直後のアスコットゴールドカップも制した。 翌1869年にはペロゴメス(Pero Gomez)でセントレジャーステークスを制し、調教師として2年連続のクラシック競走優勝を果たした。ブルーガウンのダービー優勝、ペロゴメスのセントレジャー優勝はいずれも、馬主はホーリー卿、鞍上はウェルズ騎手だった。
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