キルギス共和国国立テレビ・ラジオ放送公社とは? わかりやすく解説

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キルギス共和国国立テレビ・ラジオ放送公社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/11/10 09:31 UTC 版)

キルギス共和国国立テレビ・ラジオ放送公社キルギス語:Кыргыз Республикасынын Улуттук телерадиоберүү корпорациясы、略称:УТРК、KTRK[1]、英語:National Television and Radio Broadcasting Corporation of the Kyrgyz Republic、英語略称:NTRC[1]、NTRKなど[2])は、キルギス共和国国営公共放送公社であり、本社は首都ビシュケクにある[3]

この国営放送公社は、6つのテレビチャンネルと3つのラジオチャンネルを運営しており、従業員数は1000人以上にのぼる。テレビではニュース 「Ala-Too 24」、スポーツ「KTRK Sport」、音楽専門「Music」、子ども向け教育「Balastan」、ラジオでは一般・ニュース 「Birinchi」、文化系「Kyrgyz radiosu」、エンターテインメントFM「Min Kiyal FM」などのチャンネルを持つ。

ラジオ放送は1931年に開始され、テレビ放送は1958年に開始された[4][3]

沿革

1926年、ソビエト連邦キルギス自治州キルギス自治ソビエト社会主義共和国へと昇格したことに関連して、この出来事を広く国全体に知らせるため、全国的なラジオ放送サービスを展開する構想が持ち上がった。1927年、この構想が実現し、キルギスASSR中央執行委員会のクルルタイ(国民大会)の際に、委員会議長アブドゥカディル・オロズベコフ(Abdykadyr Orozbekov)が、ラジオノードに関する報告をラジオを通じて国民に伝えた。

1931年1月20日、キルギス・ラジオの公式開局が行われた[1]。全長25キロメートルのラジオノードが稼働し、300のラジオ受信拠点(加入者ネットワーク)が整備された。1930年には標準型ラジオノードの建設が始まり、翌1931年にビシュケク(当時の名称はフルンゼ)で完成し、全面的に運用が開始された[3]ソビエト連邦統治下において、キルギス・ラジオはキルギス国民の生活において重要な役割を果たした。当時、他のメディアと同様にプロパガンダの手段であり、イデオロギー的な目的をもって運営されていた。しかし、それでもラジオは必要な情報を提供し、国の文化的多様性をリスナーに届ける役割を担っていた。

1931年12月19日、キルギスASSRのソビエト人民委員会の下に放送委員会が設立された。中央執行委員会の規定に基づき、翌12月20日付の第1号命令により、ベクトゥルスノフ・スユントベク(Bektursunov Suyuntbek)が共和国放送委員会の委員長に任命され、1932年7月までその職にあった。その後、キプチャクバエフ(Kypchakbaev)およびサルマノフ(Sarmanov)が後任を務めた。彼らの任期は短かったが、ラジオを通じて教育的・啓発的な放送を行うという新しい試みを始めた最初の先駆者たちであった。

1949年から1953年まで、放送委員会は劇作家であり社会活動家でもあったモルドガズィ・トコバエフ(Moldogazy Tokobayev)によって率いられていた。すべての無線通信の管理権限がキルギス・ソビエト社会主義共和国(キルギスSSR)通信省に移管されたため、放送委員会はキルギスSSR閣僚会議の管轄下に置かれることとなった。

1958年、キルギスSSR閣僚会議の下にテレビ・ラジオ放送委員会(Committee on Television and Radio Broadcasting)が設立され、フルンゼ・テレビスタジオが開設されテレビ放送が開始された[1]。キルギス・テレビ放送の初代アナウンサーはシナカン・ジュヌシャリエワ(Sinakan Zhunushalieva)、初代ディレクターはジャヌザク・モルドバエフ(Januzak Moldobaev)、初代編集長はシャルシェケ・スマトフ(Sharsheke Smatov)、初代音響技師はスヴェトラーナ・ヴァリバダ(Svetlana Varibada)、そして初代カメラマンはクルマンベク・オゴバエフ(Kurmanbek Ogobaev)であった。

1960年には、すでに週5日放送を行っていた。フルンゼ地域の視聴者は、アルマ・アタ局(現在のアルマトイ)の放送も受信することができた。キルギス・テレビは主に農業および繊維産業向けの番組を制作していた[5]

1961年から1964年まで、放送委員会はアイムブブ・ボトカノワ(Aiymbubu Botokanova)が率いた。1964年以降、キルギス・ソビエト社会主義共和国(キルギスSSR)閣僚会議の下に設置されたテレビ・ラジオ委員会は、アサンベク・トコンバエフ(Asanbek Tokombaev)が委員長として就任し、彼はその後21年間、国家イデオロギー機関のトップとして在任した。トコンバエフの指導のもとで、テレビ・ラジオ委員会は拡大し、本格的な情報発信機関へと発展した。この時期に、テレビ・ラジオ公社の本館、ラジオハウス、テレビスタジオの建物が建設された。

1991年以降

1991年、独立したキルギス共和国において国家テレビ・ラジオ庁(State Agency on Television and Radio of the Kyrgyz Republic)が設立され、その初代長官としてサティバルディ・ジェーンベコフ(Satybaldy Jeenbekov)が任命された。1995年には日本からの政府開発援助(ODA)が開始され[6]、キルギス・テレビが朝の番組「ザマナ(Zamana)」のスタジオを開設した。

1996年、国家テレビ・ラジオ委員会はキルギス共和国国家放送公社(State Broadcasting Corporation of the Kyrgyz Republic)へと再編され、その初代総裁にアマンベク・カリプクロフ(Amanbek Karypkulov)が就任した。この時期、国際連合開発計画(UNDP)、UNESCO、日本、ドイツデンマークなど各国からの政府開発援助(ODA)が本格化[3]し、放送公社内に情報センター「アラ・トー(Ala-Too)」、プロデューサーセンター「ヌール(Nur)」、「アタ・ジュルト(Ata-Jurt)」などの部門および制作施設が設立された。

2003年、同公社はキルギス共和国公共テレビ・ラジオ放送公社と改称した[3]

2022年5月、キルギス共和国公共放送公社(OTRK)は、正式に名称を「キルギス共和国国立テレビ・ラジオ放送公社(National Television and Radio Broadcasting Corporation、英語略称:NTRC[1]またはNTRK)」へと改称した[2]

テレビ放送チャンネル

  • KTRK Sport:スポーツ専門チャンネル
  • Balastan:子ども向け教育専門チャンネル
  • Ala-Too 24:24時間放送ニュースチャンネル[7]
  • KTRK Music:音楽専門チャンネル
  • Madaniyat.Taryh.Til:キルギス文化専門チャンネル

ラジオ放送

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e National Broadcasting Corporation of the Kyrgyz Republic (KTRK)” (英語). Asia-Pacific Broadcasting Union. 2025年11月10日閲覧。
  2. ^ a b PODOLSKAYA, Darya (2022年5月11日). “OTRK transformed into NTRK: Law on changing the status signed -”. 24.kg. 2025年11月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e キルギス共和国公共テレビ・ラジオ放送協会(КТРК) 国際関係部 A. アサンベコワ (2016年). “キルギス共和国のメディア産業”. 放送番組国際交流センター. 2025年11月10日閲覧。
  4. ^ Кыргыз Республикасынын Улуттук телерадиоберүү корпорациясынын тарыхы”. ktrk.kg. 2019年11月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年11月10日閲覧。
  5. ^ Radio and Television in the USSR, S. V. Kaftanov, 1960
  6. ^ 独立行政法人 国際協力機構八千代エンジニヤリング株式会社 (2005年1月1日). “キルギス共和国 国営放送局番組制作機材整備計画 基本設計調査報告書” (PDF). 国際協力機構. 2025年11月10日閲覧。
  7. ^ КТРК. “Information channel "Gae-Popele" is 2 years on the air” (ロシア語). Public Broadcasting Corporation of the Kyrgyz Republic. 2022年6月13日閲覧。

外部リンク




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