ガザリ・シャフィとは? わかりやすく解説

ガザリ・シャフィ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/28 08:22 UTC 版)

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ガザリ・シャフィ
自治大臣
任期
1973年 – 1981年
前任者 イスマイル・アブドゥル・ラーマン
後任者 ムーサ・ハイタム
外務大臣
任期
1981年 – 1984年
前任者 アブドラ・バダウィ
後任者 アフマド・リタウデーン
個人情報
生誕 (1922-03-22) 1922年3月22日
パハン州クアラ・リピス
死没 2010年1月24日(2010-01-24)(87歳)
スランゴール州スバン・ジャヤ
政党 統一マレー国民組織 (UMNO)
配偶者 トー・プアン・カティジャー・アブドゥル・マジド
宗教 イスラム教

トゥン・ムハンマド・ガザリ・シャフィマレー語: Muhammad Ghazali Shafie1922年3月22日 - 2010年1月24日)は、マレーシアの政治家。外務大臣や自治大臣を務めた。

パハン州クアラ・リピスに生まれた[1]第二次世界大戦の日本軍によるマレーシア占領時はウェールズ大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学んだ[2]。その後、公務員勤めから政治家に転身[2]。1973年から81年まで住宅・情報大臣を、84年まで外務大臣を務めた。外相として彼はASEAN外交でカンボジア紛争に重点を置き[2]、「派手な政治家」[2]とか「キング・ガズ」(King Ghaz)とか呼ばれた[3]

1982年、ガザリは自身が操縦する飛行機で墜落事故を起こした[3]。これによりボディーガードと副操縦士は亡くなったものの、ガザリは一命を取り留めた。しかし、ガザリが亡くなったというような記事も『ニューヨーク・タイムズ』などで出された[4][5]。後にガザリの検死を担当した検死官は非難を浴びた[6]

ガザリは大東亜戦争中に日本軍が創設した興亜訓練所で学んでいたことから、大東亜戦争についての理解が深く、日本から受け取った賠償金の使用方法について大変な心遣いをしており、ガザリは「日本人は気づいていなかったかも知れないが、(賠償の)受け手となった、かつて日本占領の犠牲者であった新興独立国の一部は、賠償が血償への支払いとして反日感情を招くことを回避するため、そして日本の賠償が一段と賞賛に値するものへと転換させたことで日本の手助けをした。マレーシアでは、賠償金を使って合弁の国際海運会社を始め、今日ではこの会社は繁栄し、日本とマレーシアの協力のシンボルとなっている」と語っており、1993年には江崎道朗のインタビューに対して「マレーシアが独立して間もない頃、マラッカ海峡を通るタンカー通行税を取ろうという話が出たことがあったが、そうすると日本の貿易に打撃を与える ので、この話は立ち消えとなった。だが、こうした事実をどれだけの日本人が知っているのだろか」と、東南アジア諸国の好意が日本に全く伝わっていないことへの苛立ちを語っている[7]

政界引退後は企業や国際機関の役職を歴任した[1]。2010年1月24日午後7時45分、ガザリはスバン・ジャヤの自宅で死去し[8]、遺体はクアラルンプールマスジッド・ネガラの墓地に埋葬された[9]。妻のトー・プアン・カティジャー・アブドゥル・マジドとは2008年4月に先立たれていた。夫妻の二人の息子は2010年現在も生きている[10]

脚注

  1. ^ a b “'King Ghaz' Remembered As No-nonsense Man”. Bernama. (2010年1月25日). http://www.bernama.com/bernama/v5/newsindex.php?id=470778 2010年1月25日閲覧。 
  2. ^ a b c d Leifer, Michael (2001). Dictionary of the modern politics of South-East Asia (3rd ed.). Taylor & Francis. pp. 121. ISBN 0415238757. http://books.google.com.au/books?id=PeNmkSi54DQC&dq=%22ghazali+shafie%22&source=gbs_navlinks_s 2010年1月25日閲覧。 
  3. ^ a b “Ghazali Shafie Dies”. Bernama. (2010年1月25日). http://www.bernama.com/bernama/v5/newsindex.php?id=470780 2010年1月25日閲覧。 
  4. ^ “Mohammad Ghazali bin Shafie, Malaysian official, dies in crash”. New York Times. (1982年1月11日). http://www.nytimes.com/1982/01/11/obituaries/mohammed-ghazali-bin-shafie-malaysian-official-dies-in-crash.html 2010年1月25日閲覧。 
  5. ^ “Envoy Survives”. The Pittsburgh Press (United Press International). (1982年1月11日). http://news.google.com.au/newspapers?id=XAsfAAAAIBAJ&sjid=FpYEAAAAIBAJ&pg=5700,4726343&dq=ghazali-shafie+obituary&hl=en 2010年1月25日閲覧。 
  6. ^ “Minister blamed”. The Montreal Gazette. (1983年6月23日). http://news.google.com.au/newspapers?id=80MwAAAAIBAJ&sjid=h6UFAAAAIBAJ&pg=6700,944426&dq=ghazali-shafie+crash&hl=en 2010年1月25日閲覧。 
  7. ^ 江崎道朗マスコミが報じないトランプ台頭の秘密青林堂、2016年10月8日、103頁。 ISBN 978-4792605681
  8. ^ “Ghazali Shafie dies”. The Star (Malaysia). (2010年1月24日). http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2010/1/24/nation/20100124235104&sec=nation 2010年1月25日閲覧。 
  9. ^ “"King Ghaz" buried at Warriors' Mausoleum”. mysinchew.com. (2010年1月25日). http://www.mysinchew.com/node/34477 2010年1月25日閲覧。 
  10. ^ “'King' Ghaz dies”. The Malaysian Insider. (2010年1月25日). http://www.themalaysianinsider.com/index.php/malaysia/50654-king-ghaz-dies 2010年1月25日閲覧。 




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