カールトンの救援の試み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/14 15:05 UTC 版)
「セントジョンズ砦包囲戦」の記事における「カールトンの救援の試み」の解説
モントリオールにいたカールトンが遂に動き始めた。直ぐに動かないことで常に批判に晒され、民兵からの不信が募っていたので、カールトンは攻撃作戦を立てた。ケベックにいるアラン・マクリーン大佐に伝言を送り、そのハイランド移民隊とソレルの民兵隊を連れてきて、リシュリュー川をセントジョンズ方面に遡らせ、一方カールトンが部隊を率いてロンゲールでセントローレンス川を渡るというものだった。 マクリーンは約180名の移民隊を作りまた多くの民兵を組織した。10月14日にソレルに到着するときまでに移民隊に加えて約400名の民兵隊を組織していた。徴兵のためには恐喝を行うこともあった。10月30日、カールトンの部隊約1,000名(大半は民兵で移民隊とインディアンの支援が幾らかあった)がロンゲールに上陸しようとして大陸軍に撃退されたとき、カールトンとマクリーンの望みは潰えた。船の幾つかは着岸したが、大半はセス・ワーナーがシャンブリー砦で捕獲していた野砲を使って撃退した。 マクリーンは前進を試みたが、その民兵達が脱走を始め、ブラウンとリビングストンの部隊は逆に勢力を増した。マクリーンはソレルまで後退し、さらにケベックまで戻った。
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