カレワン事件とは? わかりやすく解説

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カレワン事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 06:01 UTC 版)

カレワン事件(カレワンじけん、クバラン語: Lanas na Kabalaen)あるいはタコボワン事件サキザヤ語: Takubuwa a kawaw)は、1878年清朝統治時代の台湾東部において、台湾原住民クバラン族サキザヤ族清朝の軍と衝突した事件である。台湾語ではそれぞれ加禮宛事件達固湖灣事件と表記する[1]。この事件は現在の台湾東部、花蓮市付近における民族の分布に重大な影響を与えた。サキザヤ族とクバラン族は清朝の軍に掃討され、辛くも逃れた者はアミ族の集落に潜伏した[2]。一方で清朝軍に協力したアミ族チカソワン社中国語版は、日本統治時代に発生したチカソワン事件まで、アミ族の最大集落として発展した[1]


  1. ^ 「加礼宛」の語は、「クバラン族」の民族名称が定着する以前から存在した。東台湾に日本人が到達して以降は、「蛤仔難」の漢字表記をもとに「Kuvalan」もの名称で呼ばれるようになった[3]:71-111。本項目では、事件当時の名称で各民族を表現する。
  2. ^ サキザヤ族の男子は、年齢ごとにグループを結する(miselal)。同様の年齢階層制度は、アミ族にも存在する[3]:278
  3. ^ 台湾原住民に伝承される、独自の契約法。双方立会いの下で地面に大石を埋め、「たとえこの石が腐っても、約束を違えない」と宣言しあう
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 康培德; 李宜憲; 陳俊男 (2015年12月). 《加禮宛事件》 (初版 ed.). 台灣: 原住民委員會. ISBN 9789860468502 
  2. ^ 花孟璟 (2013年10月6日). “〈北部〉撒奇萊雅族火神祭 燒屋喻重生” (中国語). 《自由時報》. オリジナルの2017年10月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171020084313/http://news.ltn.com.tw/news/local/paper/719722 2017年10月20日閲覧。 
  3. ^ a b c d e 潘朝成; 施正鋒 (2010年5月). 《加禮宛戰役》 (初版 ed.). 台灣: 東華大學原住民學院. ISBN 9789860236262 
  4. ^ 詹素娟 (2006年3月). “傳說世界與族群關係 ─ 加禮宛人在花蓮地區的歷史與傳說(1827-1930)”. 新史學 17 (1). 
  5. ^ 羅大春. 台灣海防並開山日記 
  6. ^ 撒奇萊雅族_認識本族”. www.tacp.gov.tw. 2017年1月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年1月6日閲覧。
  7. ^ 楊仁煌 (2008). “撒奇萊雅民族文化重構創塑之研究”. 朝陽人文社會學刊 6:1 (2008): 339-387. オリジナルの2019-01-26時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190126092721/http://ir.lib.cyut.edu.tw:8080/bitstream/310901800/8902/1/310-P339-388++%E6%92%92%E5%A5%87%E8%90%8A%E9%9B%85%E6%B0%91%E6%97%8F%E6%96%87%E5%8C%96_%E4%BF%AE%E8%A8%82_.pdf 2017年8月9日閲覧。. 
  8. ^ 丁日昌 (1876). 〈奏為台灣北路生番未靖微臣現擬立即渡台妥籌辦理摺〉 
  9. ^ 《清季臺灣洋務史料》. 臺灣銀行經濟研究室. (1969) 
  10. ^ a b c d 督固‧撒耘訪談紀錄”. library.taiwanschoolnet.org. 2017年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月5日閲覧。
  11. ^ a b c d 奇萊平原上的巨大茄苳樹:撒奇萊雅族人的生命與毀滅之歌”. Mata Taiwan (2013年10月2日). 2017年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月5日閲覧。
  12. ^ 新聞:潘建任,《火神祭-撒奇萊雅族的文化傳承 アーカイブ 2015年6月10日 - ウェイバックマシン》,公視PeoPo公民新聞平台,2010.7.28
  13. ^ “原民第13族 撒奇萊雅族今正名 - 政治 - 自由時報電子報”. オリジナルの2017年8月9日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170809090924/http://news.ltn.com.tw/news/politics/paper/111906 2017年2月5日閲覧。 
  14. ^ 新聞:楊宜中,《加禮宛130年 撒奇萊雅、噶瑪蘭族立約紀念 Archived 2012-09-09 at Archive.is》,自由時報,2009.6.7


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