カルミデスの誇り(貧しさ)の吟味
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 18:33 UTC 版)
「饗宴 (クセノポン)」の記事における「カルミデスの誇り(貧しさ)の吟味」の解説
次に、カルミデスの番となる。 カルミデスは、自分が「貧しさ」に誇りを持つ理由は、自分がまだ裕福だった頃は、壁破り強盗や告発屋を恐れ、国からは「公共奉仕」(レイトゥールギア, 希: λειτουργία, leitourgia)として各種の支出を求められたし、財貨の国外流出を防ぐため外国行きも制限されたが、大した財産が無くなってしまった今では、それらに脅かされることも無いし、国内外の移動も自由だし、国が税金で自分を養ってくれ、ソクラテス等も含め誰と交際しても文句を言われないなど、自由人としての生活を謳歌できるからだと述べる。 カリアスが、「それでは、決して裕福にならぬよう祈り、その兆しがあれば災難避けとして神々に犠牲を捧げているのではないか」と問うと、カルミデスは、「そんなことはしないが、そうした機会が来たら(裕福にならぬよう)自制して耐えている」と答える。
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