カムペーンペット歴史公園とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > カムペーンペット歴史公園の意味・解説 

カムペーンペット‐れきしこうえん〔‐レキシコウヱン〕【カムペーンペット歴史公園】


カムペーンペット歴史公園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/25 18:17 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
カムペーンペット歴史公園
อุทยานประวัติศาสตร์กำแพงเพชร
ワット・プラケーオの石像
所在地 カムペーンペット県
登録日時 1991年4月18日
歴史区分 スコータイ王朝
公式サイト 文化省芸術局(タイ語)
地図

カムペーンペット歴史公園は、タイカムペーンペット県にあるスコータイ王朝の遺跡の1つ。周辺の遺跡とともにユネスコ世界遺産(文化遺産、スコータイの歴史上の町と関連の歴史上の町)に登録されている。

概要

カムペーンペット歴史公園はスコータイ時代の遺跡である。カムペーンペット(金剛の城壁)という名前が示すとおり、ビルマからの侵入を防ぐ目的で建設されたといわれている。伝説では11世紀頃に北部から逃れてきた、ある王が建設したとされるが、実際に碑文などで分かっていることはスコータイの王リタイがワット・プラシーマハータート(仏教寺院)を建設したということである。また、ヒンドゥー様式(特に、クメール様式)の遺跡が例外の1つを除いて見つかっていないことから、クメール王朝の影響は非常に薄かったと考えられている。当初は川よりも西側に建造物が建てられていたが、アユタヤ王朝時代には防衛上の理由で川よりも東に建設された。スコータイ時代からスコータイのみならず北部の文化を吸収し、カムペーンペット独特の様式を生み出して発展してきたカムペーンペットも、1767年にはビルマ軍の攻撃を受け崩壊し、現在では漆喰が落ちた煉瓦の建物を残すのみである。

主な遺跡

城壁内

ワット・プラケーオ

バンコクワット・プラケーオと同様、僧のための施設がない王専用の寺院である。伝承ではエメラルド仏が安置されていたともいうが定かではない。

ワット・プラタート

リタイ王による建設とされる。ワット・プラケーオよりも東にある。この寺院の中心にあるチェーディー(仏塔)はカムペーンペット独自のスタイルである。

宮殿跡

現在ほとんど形跡をとどめていないが、発掘の結果、スコータイ時代の文物が見つかっている。

城壁外

ワット・プラノーム

建造物の壁が非常に良い状態で残っている寺院の1つである。ラテライトで出来た寺院で、寺院にある大きな柱は継ぎ目がなく、1つの岩から切り出されたものであり、スコータイ王朝時代の建築技術の高さを物語っている。

ワット・プラシーイリヤボート

この寺院の中心には4面に分かれた壁があり、その壁一つ一つの前にそれぞれ石で出来た、遊行仏、座禅仏、直立仏、涅槃仏が安置されていたが、現在では直立仏を残すのみである。この直立仏はカムペーンペット独自の様式である。

ワット・チャーンロープ

もともとは台座の上にベル型のチェーディーがあったとされるが、ビルマ軍によって破壊された。しかし台座を取り巻くゾウの像は現在でも残り、カムペーンペットに残る非常にユニークな寺院の1つである。

関連項目

座標: 北緯16度29分02秒 東経99度31分26秒 / 北緯16.484度 東経99.524度 / 16.484; 99.524



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カムペーンペット歴史公園」の関連用語

カムペーンペット歴史公園のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カムペーンペット歴史公園のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカムペーンペット歴史公園 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS