カティーナ・パクシヌーとは? わかりやすく解説

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カティーナ・パクシヌー

(カティナ・パクシノウ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/19 10:21 UTC 版)

カティーナ・パクシヌー
Katina Paxinou
本名 Ekaterini Konstantopoulou
生年月日 (1900-12-17) 1900年12月17日
没年月日 (1973-02-22) 1973年2月22日(72歳没)
出生地 ギリシャ王国 ピレウス
死没地 ギリシャ アテネ
職業 女優
ジャンル 舞台・映画・テレビ
活動期間 1943年 - 1970年
配偶者 ロアニス・パクシノス(1917年 - 1923年)※離婚
アレクシス・ミノティス英語版(1940年 - 1973年)※死別
主な作品
誰が為に鐘は鳴る
若者のすべて
 
受賞
アカデミー賞
助演女優賞
1943年誰が為に鐘は鳴る
ゴールデングローブ賞
助演女優賞
1943年『誰が為に鐘は鳴る』
その他の賞
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カティーナ・パクシヌーKatina Paxinou, 1900年12月17日 - 1973年2月22日)は、ギリシャピレウス出身の女優である。カティナ・パクシノウとも表記される。

経歴

1900年ギリシャ王国ピレウスで生まれ、オペラ歌手としての訓練を受けた[要出典]

1928年に初舞台を踏み、1930年代初頭にギリシャ国立劇場(当時は王立劇場)の創設メンバーとなる。第二次世界大戦が始まるとイギリスに渡り[1]、その後、アメリカ合衆国ブロードウェイの舞台に立つ[2]

1943年サム・ウッド監督の映画『誰が為に鐘は鳴る』で映画デビュー、同作の演技で第16回アカデミー賞助演女優賞および第1回ゴールデングローブ賞助演女優賞を受賞する。その後、数本のハリウッド映画に出演した後に、1950年代の初頭には活動の中心をギリシャに戻す[1]

1973年にガンで死去。

主な出演作品

公開年 邦題
原題
役名
1943 誰が為に鐘は鳴る
For Whom the Bell Tolls
ピラー
1945 密使
Confidential Agent
メランデス夫人
1949 狐の王子
Prince of Foxes
モナ・コンスタンツァ・ゾッポ
1955 秘められた過去
Mr. Arkadin
ソフィー
1959 奇蹟
The Miracle
1960 若者のすべて
Rocco e i suoi Fratelli
ロザリア
1968 若草の萌えるころ
Tante Zita
ジタおばさん

受賞歴

出典

  1. ^ a b Katina Paxinou - Biography” (英語). IMDb. 2013年4月12日閲覧。
  2. ^ Katina Paxinou” (英語). IBDB. 2013年4月12日閲覧。

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