エレック所属期
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1970年4月に、インディーズレーベルのはしりであったエレックレコードに契約社員として就職する。エレックはまともな仕事は取ってこられず、愛川欽也が司会をしていた子供番組のオーディションに参加し「イメージの詩」を歌って審査員の子供に落とされたり、NHKのオーディションで藤山一郎に落とされたりした。6月1日、当時のシングルとしては異例の7分弱の長尺シングル「イメージの詩/マークII」で正式にデビュー。吉田拓郎と広島フォーク村は、この一曲によって世に知られるようになったとも言われる。6月27日に『広島フォーク村アルバム発売記念コンサート』を東京厚生年金会館で開催した際、客はほとんどいなかったが、当時イベントの企画などを手がけていた後藤由多加の目にとまり、コンサートなどで起用される。後藤はこれを機に重要なパートナーとなる。12月15日公開の日活映画『女子学園 ヤバい卒業』(夏純子主演・沢田幸弘監督)の劇中、「青春の詩」を歌唱。1971年8月7日〜9日、『第3回全日本フォークジャンボリー』に出演。10月、後藤とともに、アーティスト主体の音楽制作プロダクション『ユイ音楽工房』を設立。11月には広島フォーク村の後輩・大久保一久が組んでいたアマチュアグループのために初の楽曲提供。
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