エルンスト・アウグスト (ハノーファー王太子)とは? わかりやすく解説

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エルンスト・アウグスト (ハノーファー王太子)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/31 01:02 UTC 版)

エルンスト・アウグスト2世
Ernst August II
ハノーファー家
エルンスト・アウグスト2世

全名
称号 ハノーファー王太子
カンバーランド=テヴィオットデイル公
出生 (1845-09-21) 1845年9月21日
ハノーファー王国ハノーファー、旧宮殿
死去 (1923-11-14) 1923年11月14日(78歳没)
オーストリアオーバーエスターライヒ州グムンデン、クンバーラント城
埋葬 オーストリアオーバーエスターライヒ州グムンデン、クンバーラント城
配偶者 ティーラ
子女
父親 ゲオルク5世
母親 マリー
宗教 キリスト教ルーテル教会
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エルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファードイツ語: Ernst August von Hannover, 1845年9月21日 - 1923年11月14日)は、ハノーファー王国の王族。

生涯

1845年、ハノーファー王太子ゲオルクとその妃のザクセン=アルテンブルク公女マリーの間に長男(第2子)としてハノーファー旧宮殿ドイツ語版で生まれた。1851年に父が即位(ゲオルク5世)すると王太子に立てられた。1866年普墺戦争が起こるとハノーファーはオーストリア方につき、エルンスト・アウグストも参戦したが、オーストリア側の敗戦によりハノーファーはプロイセンに併合されてゲオルク5世は廃位され、エルンスト・アウグストも王太子の身分を失った。1878年に父が歿すると、名目的な国王「エルンスト・アウグスト2世」(ドイツ語: Ernst August II)となった。

1884年、遠戚に当たるブラウンシュヴァイク公ヴィルヘルムが死去した。エルンスト・アウグスト2世は血縁を根拠にブラウンシュヴァイクの公位継承権を主張したが、帝国議会はブラウンシュヴァイク公位を空位とし、公国には摂政が置かれた。1913年、交渉の結果エルンスト・アウグスト2世は公位継承権を放棄し、三男のエルンスト・アウグストドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の王女ヴィクトリア・ルイーゼと結婚してブラウンシュヴァイク公に即位することとなった。

第一次世界大戦でドイツとイギリスが敵対することになると、称号剥奪法に基づいてイギリス王族の身分とカンバーランド=テヴィオットデイル公爵の称号を剥奪された。

1923年、居城としていたグムンデンクンバーラント城ドイツ語版で死去した。

結婚と子女

1878年12月21日クリスチャンスボー城デンマーク王クリスチャン9世の第3王女テューラ(ティーラ)と結婚した。ティーラとの間には以下の3男3女を儲けた。

エルンスト・アウグスト2世と家族
先代
ゲオルク5世
ハノーファー家家長
1878年 - 1923年
次代
エルンスト・アウグスト(3世)
先代
ジョージ
カンバーランド=テヴィオットデイル公
1878年 - 1919年
次代
(剥奪)



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