エマヌエル・デ・グラッフェンリード(スイス)
自動車レースが企業広告に支配されず、一部の富裕な階級の人々のアマチュア・スポーツという色彩を残していた時代のジェントルマン・ドライバーのひとり。バロン(男爵)の称号を有していた。1930年代後半から50年代の半ばにかけて、主として自ら所有するマセラティで走った。クルマを壊すほどのリスクを負うことを望まず、最後まで走り切ることが多かったが、これが幸いして上位が脱落した49年のイギリスGPでは優勝という栄冠を手にしている。その時期はエンリコ・プラテのチームで、タイのプリンス、B.ビラをパートナーとして走っていたころでもあった。だが、54年にエンリコ・プラテがアルゼンチンのレースで事故死したことから、ほどなく現役を引退した。
- エマヌエルデグラッフェンリードのページへのリンク