エトルリア「王」ラルス・トルミウスとの戦い(紀元前438年-紀元前437年)
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「ローマ・エトルリア戦争」の記事における「エトルリア「王」ラルス・トルミウスとの戦い(紀元前438年-紀元前437年)」の解説
詳細は「フィデナエの戦い (紀元前437年)」を参照 ウェイイの王ラルス・トルミウスは、自身をエトルリア王と称していた、紀元前438年、フィデナエは、ローマに反旗を翻して、ウェイイと同盟した。トルミウスはフィデナエの決心が変わらないように、ローマが詰問のために派遣した3人の使節を殺害した。ウェイイ・フィデナエ軍はローマの田園地帯を略奪した。 紀元前437年、ローマはマメルクス・アエミリウス・マメルキヌスを独裁官に選出した。他方、トルミウスは、ファルスキとカペナの協力も得た。エトルリア4都市の連合軍は、フィデナエの城外に野営地を設営した。他方、ローマ軍はアニオ川とティベリス川の合流地点に野営地を設営し、その防備を強化した。 ローマは直ぐにでも戦闘を開始したかった。トルミウスはフィデナエの戦意を疑ってはいたが、遠方から遠征してきたファルスキが即戦を望んだこともあり、戦意を固めた。戦闘が始まると、ローマの歩兵はエトルリア歩兵を圧倒したが、エトルリア騎兵は激しく抵抗した。しかし、ローマの士官アウルス・コルネリウス・コッススが一騎打ちでトルミウスを倒すと、エトルリア連合軍は総崩れとなった。エトルリア兵は逃走したが、ウェイイの農村地帯まで追ってきたローマ軍に虐殺された。
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