エイケンとIBM
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 13:43 UTC 版)
「Harvard Mark I」の記事における「エイケンとIBM」の解説
エイケンは報道機関への発表で、自身が単独で Mark I を「発明」したと記した。実際にはクレア・レイクやフランク・ハミルトンといったIBMの技術者も様々な部品の設計を助けていたが、エイケンが発表の中で触れたIBMの人物はジェームズ・W・ブライス(英語版)だけだった。トーマス・J・ワトソンはこれに怒り、1944年8月7日の開所式にもしぶしぶ出席した。エイケンはその後、IBMの支援を得ずに後継機を構築することを決め、ASCCは一般に Harvard Mark I の名で知られるようになった。その後IBMはSSECの開発に向かい、新技術の評価を行うと同時に世間の注目を集めようとした。
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