ウィリンジイマナ首相と穏健派フツの暗殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/12 07:20 UTC 版)
「ルワンダ虐殺における初期の出来事」の記事における「ウィリンジイマナ首相と穏健派フツの暗殺」の解説
4月6日から7日にかけての夜、バゴソラ指導下のルワンダ軍メンバーは当時UNAMIR司令官だったロメオ・ダレール将軍と白熱した討議を交わした。UNAMIRは平和維持任務に加えてルワンダの首相に軍事力と司法権力両面について支援を提供していた。 ルワンダ首相アガート・ウィリンジイマナは、翌朝国営ラジオ局から声明を流し沈静化を訴えかけようと計画した。ダレール将軍は彼女をラジオ局まで護衛するよう平和維持部隊からガーナ兵5名とベルギー兵10名を派遣した。ところが、その朝大統領警護隊がラジオ局を管理下に置いたため、ウィリンジイマナは演説を断念せざるを得なくなった。更にその日、大統領警護隊は彼女とUNAMIRのベルギー人平和維持要員10名を暗殺した。午後9時、ダレールはベルギー人が殺されたこととガーナ人がフツ勢力によって助命されたことを知った。 アルーシャ協定を支持していた多数の穏健派フツ有力者が後に暗殺された。協定に基づく合同政府の暫定首相フォスタン・トゥワギラムングの命もまた狙われたが、これはUNAMIRの努力により阻止された。
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