イスラーム支配下での建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/24 01:25 UTC 版)
「アルクーディア」の記事における「イスラーム支配下での建設」の解説
本格的な入植前にもマリョルカ島民とイスラーム教徒の接触はあったものの、イスラーム教徒がマリョルカ島に入植したのは903年のことである。イスラーム教徒はハイメ1世による再征服が行われる1229年までマリョルカ島を支配した。ムーア人はポリェンティアの古代都市のすぐ近くに農場を建設し、この農場はアラビア語で「丘の上」を意味するアルクーディアと呼ばれた。 ムーア人の初代統治者はIsam Al-Jawlaniであり、Al-Jawlaniはマリョルカ島の再編を開始した。都市機能は主都のメディーナ・マユルカ(現・パルマ)に集中させ、残りの部分は農場や村などが割り当てられた。チェーンポンプを使用した新たな散水技術で農業が開花し、ローマ人によって導入された作物ではなく綿や米が生産された。メディーナ・マユルカは重要な貿易拠点となり、地中海中から商人を集めた。メディーナ・マユルカは文化的な中心地でもあり、芸術家、詩人、哲学者、数学者がそれぞれの活動で活躍した。
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