イスラムの進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:27 UTC 版)
638年に東ローマ帝国は正統カリフ率いるイスラム教軍にオロンテス川沿いでの決戦で敗れ、アンティオキアも占領された。ウマイヤ朝、アッバース朝の時期アラブ人君主の施政下に入る。887年、トゥールーン朝によって初めてトルコ人に占領され、セルジューク朝の傘下でテュルク人のいくつかの首長国に支配された。また、この後の1097年から1098年にかけてアンティオキア市は第一次十字軍により包囲され(アンティオキア攻囲戦)最終的に陥落しアンティオキア公国が成立したが、結果として東ローマ帝国の宗主権下に組み込まれた。さらにその後、ハタイはマムルーク朝に組み込まれてゆく。
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