イェスゲイ・バガトルとは? わかりやすく解説

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イェスゲイ

(イェスゲイ・バガトル から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/15 07:09 UTC 版)

イェスゲイ[1]モンゴル語: ЕсүхэйᠶᠢᠰᠦᠭᠡᠢYesügei, 不詳 - 1171年)は、12世紀中頃にモンゴル高原の北東部で活動したモンゴル部のうちボルジギン氏キヤト氏の首長のひとり。モンゴル帝国を築いたチンギス・カンの父であり、キヤト・ボルジギン氏の祖である。バアトル[2]という称号を帯び、イェスゲイ・バアトル (Yesügei Ba'atur) の名で知られている。『元史』における漢字表記は也速該、『集史』のペルシア語表記ではイースーカーイー・バハードゥル( ييسوكاى بهادر Yīsūkāī bahādur) と書かれる。書籍によってはエスゲイエスゲイ・バートル)とも表記される。


  1. ^ 「イェスゲイ」はイェスン(yesün)すなわち、モンゴルの聖数である「9」の男性形容詞。これに対して、女性形容詞のyesülünは、女性の名前に用いられた。≪村上 1970,p63≫
  2. ^ 「武人」、「勇士」、「英雄」を意味し、初めは戦功をたてた遊牧騎士たちに与えられた栄誉ある称号であったが、後にカアンによって授与される一定の称号となり、やがて一般化して「決死隊」の名のもととなった。元朝の抜都魯軍というのがそれである。≪村上 1970,p48≫
  3. ^ モンゲトゥ・キヤン(Mönggetü Qiyan)、「モンゲ」(Möngge~Mengge<turc.meng)は、「ほくろ」のことで、つまりその名は「黒子のあるキヤン」の意。ラシードゥッディーンによれば、彼の子の名はチャンシウダイ(Čangši'udai)で、彼が名祖となって、キヤト・チャンシウトという氏族をつくった。≪村上 1970,p63≫
  4. ^ ネクン・タイシ(Nekün Taiši,Nekün Tāīšī)、「ネクン」は「家人」という訳があるが、nekün bōl(<boγol)と熟字して、「女奴隷」の意となる(満州語のnehuと同じ語源:ポール・ペリオ)。また、「タイシ」は西遼国を建てた耶律大石の「大石」と同じく、中国語の「太師」のモンゴル語化したもの。『集史』によると、彼および子のクチャルの子孫はキヤト・サヤール(Qiyad Saār)という氏族をつくったという。≪村上 1970,p63≫
  5. ^ ダリダイ・オッチギン(Daridai<Da'aridai Otčigin)、「ダアリ(da'ari<daγari)」は「瘡(かさ)」で「瘡を持つ者」の意となる。また、テュルク語と解すれば、ダール(dār)すなわち「黍(きび)」を持てる者の意となるが、たぶん前者の意味に採るべきであろう。「オッチギン」すなわち「炉の主」という名をとったのは、彼が末子だからである。チンギス・カンの勃興当初、彼は生存していた唯一の叔父としてチンギス・カンに協力したが、後には去就常なかったため、チンギス・カンの不興を招き、ついに独自の氏族をたてることができなかった模様。≪村上 1970,p64≫
  6. ^ 元朝秘史』には「主因亦児堅」という文字で書かれる。この「主」ǰü~ǰuが、『遼史』『金史』あるいは『元史』に「乣」という特殊な文字で写されたものの原音と見られるが、『黒韃事略』の説明によると、五十人を一隊として編成された、国境防備のための外人傭兵部隊を指すものであった。おそらくは契丹語に由来する語であって、最初は朝下で保有を許された王侯貴族の私属の軍隊を名指したが、次の金朝にはいると、この語は自国の覇絆の下に置かれた北方遊牧民から編成した国境守備隊を意味するように使用されて、族から出た「咩乣」、タングート族から出た「唐古乣」、モンゴル族から出た「萌骨乣」などの多くの乣軍の名が輩出するようになったらしい。ここに見える「タタル乣」もその一つであろう。≪村上 1970,p69≫
  7. ^ オルクヌウト(Olqunu'ud,Olqunūt,斡忽納兀)、『集史』によれば、モンゴル部族の通婚部族であるオンギラト集団を構成する6つの重要な氏族集団のひとつ。
  8. ^ 村上 1970,p69-72
  9. ^ アンバガイ・カンの子
  10. ^ テムジン・ウゲ(TemüJ̌in Üge,TemüJ̌in Öke)、「テムジン」とはtemürčiすなわち「鉄を作る人」とか「鍛冶屋」の意がある。中世モンゴル語では、nomen agentisのčiを付する場合、hüker→hükečiのように、中間のrを落とすことが普通である。なお、この場合のügeとは「言葉」の意味ではなくて、オゴデイ・カアンのögö~ökeなどと同じ語源のもので、ポール・ペリオによれば、古代アヴァール語における「賢者」の意であろうという。≪村上 1970,p79≫
  11. ^ コリ・ブカ(Qori Buqa,Qūrū Būqā)、『元朝秘史』の写し方によれば、「コリ族の牡牛」あるいは「二十匹の牡牛」の意となろう。≪村上 1970,p79≫
  12. ^ 「デリウン(deli'ün<deligün~deligüü)」は「脾臓」の意。budaγは「峰・岳」の意があり、「脾臓の形をした山」の意となる。モンゴル人学者のドルジスレンの説によると、この山の位置はモンゴル部族発祥の聖地ブルカン岳に近く、オノン河源の地で、オノン河がバルジ河と合流する地点にあり、現在ではモンゴルのヘンテイ・アイマクのダダル・ソムのほぼ中央に当たるという。≪村上 1970,p79≫
  13. ^ 村上 1970,p78
  14. ^ デイ・セチェン(Dei Sečen,Deī Sēčēn,特薛禅,徳薛禅)、「デイ」とは漢語の「大」の発音の口蓋化された形。つまり、口蓋化現象の多かった契丹語を介してモンゴル語に移入した語か。ちなみに、モンゴル時代では「大」という漢字は、明らかに「dai」と発音されていた。たとえば、大元帝国をDai Ön Ulusというように。なお、「セチェン」はテュルク語の「ビルゲ」に当たる言葉で「賢者」の意。つまり全体で、「大賢者」を意味する。『集史』では「Deī Nōyōn(大諾顔)」とも呼ばれていたという。≪村上 1970,p86≫
  15. ^ 村上 1970,p78-95
  16. ^ 村上 1970,p99-102


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