アントワーヌヴァロア=フォルティエとは? わかりやすく解説

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アントワーヌ・ヴァロア=フォルティエ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/09 09:51 UTC 版)

獲得メダル

アントワーヌ・ヴァロア=フォルティエ
カナダ
柔道
オリンピック
2012 ロンドン 81kg級
世界柔道選手権
2014 チェリャビンスク 81kg級
2015 アスタナ 81kg級
2019 東京 81kg級
パンアメリカン競技大会
2011 グアダラハラ 81kg級

アントワーヌ・ヴァロア=フォルティエ(Antoine Valois-Fortier 1990年3月13日- )は、カナダケベック州ケベック・シティー出身の柔道選手。階級は81kg級。身長190cm[1][2]

人物

柔道は5歳の時に始めた[3]。2011年の世界選手権では2回戦でドイツのオーレ・ビショフの前に敗れた[2]。2012年のパンナム選手権では2位となった[2]ロンドンオリンピックでは無名選手ながら初戦で北京五輪73㎏級王者のエルヌル・ママドリ、2回戦で地元イギリス期待のイアン・バートン、3回戦で世界選手権銀メダリストのスルジャン・ムルバリエビッチといった強敵を立て続けに破る活躍を見せ、準々決勝でロシアのイワン・ニフォントフに敗れたが、その後の敗者復活戦を勝ち上がると3位決定戦でアメリカのトラヴィス・スティーブンスを破って銅メダルを獲得した[1]。2014年の世界選手権では決勝でグルジアのアブタンディル・チリキシビリに敗れるも2位になった[4][5]。2015年の世界選手権では準決勝でフランスのロイク・ピエトリの前に敗れ3位だった[6]。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは初戦で2014年の世界王者のロイク・ピエトリを破るも、準々決勝でロシアのハサン・ハルムルザエフに敗れると、敗者復活戦では世界チャンピオンの永瀬貴規に敗れて7位にとどまった[2]。2018年からパンナム選手権を2連覇した[2]。2019年には地元カナダで初開催となったIJFワールド柔道ツアーグランプリ・モントリオール決勝で永瀬に内股で敗れて2位だった[7]東京で開催された世界選手権では準々決勝で敗れるも、その後の敗者復活戦を勝ち上がって3位になった[8]。2021年7月に日本武道館で開催された東京オリンピックでは2回戦で敗れた[9]。11月には現役引退を表明した。今後はカナダナショナルチームのコーチに就任することになった[10]

主な戦績

(出典[2]、JudoInside.com)。

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脚注

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