アントニオ・メネセスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アントニオ・メネセスの意味・解説 

アントニオ・メネセス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/06 08:05 UTC 版)

アントニオ・メネセス(Antonio Meneses, 1957年8月23日 - 2024年8月3日)はブラジル出身のチェロ奏者。アントニオ・メネゼスとも表記される。

人物・来歴

ブラジルのレシフェに生まれる。リオデジャネイロ歌劇場の首席ホルン奏者であった父親の勧めで10歳からチェロを始めた。14歳でリオデジャネイロの交響楽団に入団する。16歳になると、南米ツアー中のチェロ奏者アントニオ・ヤニグロと出会い、ドイツへと渡る。デュッセルドルフロベルト・シューマン大学シュトゥットガルト音楽演劇大学でヤニグロの指導を受ける。 1977年ミュンヘン国際音楽コンクール1982年チャイコフスキー国際コンクールで優勝する。

2024年8月3日、スイスバーゼルで死去。晩年には進行性の脳腫瘍である膠芽腫と診断され、スイスで化学療法を受けていた[1][2]

チェロ奏者としての活動

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ロンドン交響楽団BBC交響楽団イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団ニューヨーク・フィルハーモニックワシントン・ナショナル交響楽団NHK交響楽団などの主要オーケストラと共演を重ねている。

ヘルベルト・フォン・カラヤンリッカルド・ムーティマリス・ヤンソンスネーメ・ヤルヴィクラウディオ・アバドアンドレ・プレヴィンリッカルド・シャイーユーリ・テミルカーノフムスティスラフ・ロストロポーヴィチクルト・マズアなどの、名だたる指揮者と共演している。

また、カザルス音楽祭ザルツブルク音楽祭プラハの春音楽祭、モーストリー・モーツァルト、ルツェルン音楽祭などの音楽祭にも多数招かれている。

1998年よりボザール・トリオのメンバーとなる。

演奏活動に加え、イタリアシエーナキジアーナ音楽院での夏期講習、スイスベルン大学にて後進の指導にもあたっている。

使用している楽器

1730年頃にナポリで作られたアレッサンドロ・ガリアーノ(イタリア語版)のチェロを使用している。一時期、パブロ・カザルスが使用していたマッテオ・ゴフリラー製作のチェロを使用していた。

その他

「もも」という名前の柴犬を飼っている。

脚注

  1. ^ Violoncelista Antonio Meneses morre aos 66 anos” (ポルトガル語). G1 (2024年8月3日). 2024年8月3日閲覧。
  2. ^ Morre aos 66 anos o violoncelista Antonio Meneses” (ポルトガル語). CONCERTO (2024年8月3日). 2024年8月3日閲覧。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アントニオ・メネセス」の関連用語

アントニオ・メネセスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アントニオ・メネセスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアントニオ・メネセス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS