アントニオ・エアネス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/01 13:20 UTC 版)
| アントニオ・エアネス António Eanes  | 
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       1983年9月15日
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| 任期 | 1976年7月14日 – 1986年3月9日 | 
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| 首相 | ジュゼ・ピニェイル・ディ・アジヴェードゥ ヴァスコ・アルメイダ・エ・コスタ(暫定) マリオ・ソアレス ノーブル・ダ・コシュタ カルロス・アルベルト・ダ・モタ・ピント マリーア・ディ・ルルディシュ・ピンタシルグ フランシスコ・サ・カルネイロ ディオゴ・フレイタス・アマラル(暫定) フランシスコ・ピント・パルセマン マリオ・ソアレス カヴァコ・シルヴァ  | 
    
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| 出生 | 1935年1月25日(89歳) | 
    
| 政党 | 民主革新党 | 
| 出身校 | ポルトガル陸軍士官学校 | 
| 配偶者 | マヌエラ・ラマーリョ・エアネス | 
| 子女 | 2人 | 
| 署名 | |
   アントニオ・エアネス(ポルトガル語:António dos Santos Ramalho Eanes、1935年1月25日 - )は、ポルトガルの政治家、軍人。第16代大統領を務めた。
経歴
1935年1月25日にリスボンに誕生した。植民地戦争で長く軍歴を積み、カーネーション革命が起こった時は、アンゴラ駐在だった。その後は革命を主導した国軍運動(MFA)に参加し、ポルトガルへの帰国後はポルトガル国営放送の社長に就任した。
MFAでは穏健派に属しており、1975年11月25日にはMFA左派の急進派などが引き起こしたクーデター未遂事件(11月25日のクーデター)の鎮圧に当たった。1976年に大統領選挙に当選し、1981年2月までは国軍参謀総長(制服組のトップ)も兼任していた。
退任後、共和制移行100周年を迎えた2010年にリスボン大学から名誉博士号の学位を得た。
外部リンク
      
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