アルヴァロ・セメド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/11 05:01 UTC 版)
アルヴァロ・セメド(Álvaro Semedo、1585年? - 1658年[2])は、ポルトガルのイエズス会修道士。明末の中国で布教した。『中華帝国誌』を著し、また大秦景教流行中国碑を最初に見たヨーロッパ人として知られる[3]。
|
- ^ F. Alvarez Semedo (1655). The History of That Great and Renowned Monarchy of China. London . (archive.org)
- ^ 死亡した日は文献により異なる。Pfister (1932) p.143 によると7月18日。Chan (1976) p.1158 によると5月6日から8月2日までのいつか
- ^ 桑原(1938)は『支那通史』と呼んでいる
- ^ Pfister (1932) p.144 は「魯徳照」または「曽徳照」とする。桑原(1938)も「魯徳照」とする
- ^ Chan (1976) p.1157
- ^ a b Chan (1976) p.1158
- ^ 現在あるポルトガル語版は20世紀になってからイタリア語訳を翻訳したもの
- ^ 各言語版のデジタル版へのリンクが以下にある: Semedo: Imperio de la China …, Bibliotheca Sinica 2.0, (2010-11-09)
- 1 アルヴァロ・セメドとは
- 2 アルヴァロ・セメドの概要
- アルヴァロ・セメドのページへのリンク