アルビジョア十字軍、晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 11:04 UTC 版)
「フィリップ2世 (フランス王)」の記事における「アルビジョア十字軍、晩年」の解説
アルビジョア十字軍は1209年に始まったが、当初インノケンティウス3世からの参加要請は、イングランド王ジョンと神聖ローマ皇帝オットー4世の脅威を理由に断り、シモン・ド・モンフォールの指揮に任せている。フランス王家は歴史的にローマ教皇との関係は良かったが、フランス領内での教皇の影響が強くなりすぎるのも好ましくはなく、つかず離れずといった対応を取っていた。 しかし1214年のブーヴィーヌの戦いの勝利の後は、1216年から始まる南仏諸侯の反撃に苦戦する十字軍に王太子ルイを派遣し、介入するようになった。フィリップ2世の崩御後の1225年にアモーリ・ド・モンフォールから南仏の支配権を受け継ぎ、ルイ8世が十字軍を指揮してトゥールーズ、オーヴェルニュ、プロヴァンスへの王権の伸張に成功した。 フィリップは1223年7月14日にイヴリーヌ県のマント・ラ・ジョリで崩御し、歴代のフランス王が眠るサン=ドニ大聖堂に埋葬された。後継として王太子ルイがルイ8世として即位した。
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