アルビオンの英国びいき
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 04:12 UTC 版)
「スパークス (バンド)」の記事における「アルビオンの英国びいき」の解説
1973年、スパークスは「アルビオン」(グレートブリテン島の古名。つまりイギリスのこと)に活動の拠点を移し、かつてマーク・ボランが在籍していたジョンズ・チルドレン(John's Children)のオリジナル・メンバーだったジョン・ヒューレットがマネージャーとなり、アイランド・レコードと契約し、BBC Twoテレビの『Whistle Test』に出演した。新たにマーティン・ゴードン(ベース)、エイドリアン・フィッシャー(ギター)、ディンキー・ダイアモンド(ドラムス)が加わり、1974年にアルバム『キモノ・マイ・ハウス』をリリースし、そこからシングル・カットされた「ディス・タウン(This Town Ain't Big Enough for Both of Us)」が全英2位のヒットとなった。このヒットを受けて、BBCの看板番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演。ラッセルの派手なアクションと、地味な服で無表情にキーボードを弾くロン(鼻の下のちょびヒゲとべたっと分けられた髪はアドルフ・ヒトラーを彷彿とさせた)のコントラストは大きかった。しかし番組出演の翌日にゴードンが解雇された。 続けて、アルバム『恋の自己顕示』(1974年)と『スパーク・ショー』(1975年)を発表。『スパーク・ショー』のプロデューサーはトニー・ヴィスコンティ(Tony Visconti)だった。2枚のアルバムから、「家には帰れない(Never Turn Your Back On Mother Earth)」「サムシング・フォー・ザ・ガール・ウィズ・エヴリシング」と「恋はルックス」がそれぞれシングル・カットされ、ヒットした。
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