アルナルド・フォルラーニとは? わかりやすく解説

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アルナルド・フォルラーニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 09:08 UTC 版)

アルナルド・フォルラーニ
Arnaldo Forlani
アルナルド・フォルラーニ
生年月日 (1925-12-08) 1925年12月8日
出生地 イタリア王国マルケ州ペーザロ・エ・ウルビーノ県
ペーザロ
没年月日 (2023-07-06) 2023年7月6日(97歳没)
死没地 イタリアローマ
所属政党 キリスト教民主主義

内閣 フォルラーニ内閣
在任期間 1980年10月18日 - 1981年6月28日
大統領 アレッサンドロ・ペルティーニ

内閣 ジュリオ・アンドレオッティ内閣
在任期間 1976年7月29日 - 1979年8月4日

内閣 アルド・モーロ内閣
在任期間 1974年11月23日 - 1976年7月29日
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アルナルド・フォルラーニイタリア語: Arnaldo Forlani1925年12月8日 - 2023年7月6日)は、イタリア政治家。元首相

生涯

1958年にイタリア下院議員として初当選し、以後1994年まで務める。1980年から81年にかけて首相を務めたほか、国防相外相無任所相などを歴任した。キリスト教民主党(DC)所属。ほかに1969年から73年までDCの党首(幹事長とも書記長とも訳される)となっている。党内では右派に属した。

首相としてはDC党内の汚職スキャンダル、イタリア南部を襲った地震被害、極左テロリズムへの対処などに追われた。また反共産主義的で違法な武器密輸活動などをし、後にフリーメイソンから破門される秘密結社ロッジP2に所属していた者のリストを公開したが、これは遅きに失したとイタリア共産党などの野党から非難され、結局は首相辞任に追い込まれた。後任の首相となったジョヴァンニ・スパドリーニイタリア共和党からの選出となったため、戦後のアルチーデ・デ・ガスペリ以来、36年間続いてきたDC出身の首相は、フォルラーニでいったん途切れることとなった。

その後、1980年代にはイタリア社会党ベッティーノ・クラクシ首相の下で副首相無任所相として)を務め、1989年から1992年までは再度DCの党首となった。この間、1992年にフランチェスコ・コッシガ大統領を辞任すると後任の大統領に推されたが、連立与党内から造反者が出て当選することができなかった(代わりにオスカル・ルイージ・スカルファロ下院議長が与党から当選)[1]。その後、タンジェントポリの嵐がイタリア政界に吹き荒れると、彼もまた不正蓄財で非難されて政界から引退した。現在はピエル・フェルディナンド・カジーニが彼の政治的な後継者とみなされている。

2023年7月6日にローマにて97歳で死去[2]

出典

  1. ^ 大統領選で味方の裏切りにあった候補者たち
  2. ^ Arnaldo Forlani, chi era l'ex premier e segretario Dc: la lunga carriera politica del leader democristiano イル・メッサジェッロ 2023年7月7日配信 2023年7月7日閲覧

関連項目

先代
フランチェスコ・コッシガ
イタリア首相(閣僚評議会議長)
1980年-1981年
次代
ジョヴァンニ・スパドリーニ



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