アルゼンチンへの移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/20 21:20 UTC 版)
「ウィリアム・ブラウン (提督)」の記事における「アルゼンチンへの移住」の解説
ブラウンは「エリサ(Eliza)」という船の共同船主となり、モンテビデオとブエノスアイレスの間で通商をしていた。エリサが悪天候により座礁すると、ブラウンは積荷を内陸に運び売却して利潤を得、チリを目指してアンデス山脈を越えた。この頃までに「インドゥストリア(Industria)」というスクーナーを購入できるだけの資産が貯まっており、その船を用いてウルグアイ-アルゼンチン間に定期郵便船事業を始めた。これはその種の事業としては南米初の物だった。この点において副王領政府はその商業上の利益に対する脅威を感じ、介入を行った。
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